平成29年8月 脳梗塞を突然発症
その際やその後について備忘録やちょっとでも他の方の参考になればと綴ります
8月4日金曜日18時、事務所での仕事を終えて用意してあった町内用にお配りする粗品のタオルと挨拶文を120個(10ダース)、でかい袋に入れてポスティングを始めました
当日は暑かった日で、18時過ぎはまだ普通に明るく日差しもあり、汗をかきつつ「今日は週末だし、一週間の疲れも出たのかな」
そう感じながら、しかし真夏の夕方なので多少クラクラするのは普通と思いポスティングを続けました
この時に脳梗塞が始まっていたようです
30分位配った際に携帯が鳴り始めました、これが第一の運が良かった点です
携帯は普通にお客さんからの問い合わせでした
ただ、それに対応している自分が喋っている声が自分ではっきり分かるほどもつれて喋れていません
これはテレビの健康番組で見たヤバイ奴(脳梗塞という言葉は知ってましたが、これがそれだとは知りませんでした)
ただ健康番組で子供向け啓蒙用に流された曲と画像が鮮明に記憶に残ってました
これがなんとなく印象に残る歌と絵面で記憶に残ってた、これが第二の運が良かった点です
これはマズイ!!
そう感じて自宅に帰り嫁さんに
「なんかちょっと良くない奴になったみたい」、と自分ではそう話しましたが当然言葉がもつれています
きちんと話が出来ない私を見て
「すぐ救急車呼ぶからじっとしてて」
となりました
この家に嫁さんがいて夕飯の準備をしていて、同じようにちょっとだけ脳梗塞について知ってた
これが第三の運の良かった点です
上の歌にもありますが、脳梗塞は発症してから3時間が一つの目安なんだそうです
それが19時にはもう病院でした、発症から約30分
これが総合的に最大に良かった点です
もし電話が掛かってこなくて19時までポスティングしてたら
もし知識が無くてすぐに家に戻らなかったら
もし嫁さんが共働きやなんかで家にいなかったら
そしてそのまま「今日は疲れたから横になって休んでから夕食」
そしたら死んでた、または大きな障害が残っただろうという担当医の先生の話です
自分たちがユース部で他校と集まって何か会議や準備をする際には、よく名古屋市北区にある北青年の家を利用することが多かったように思います
(特に人数が多くなるキャンプラリーや合同オリエンテーリング)
たまたまなのですが、縁あってその近所に住むようになり、もう15年ほど経ちました
現在の北青年の家やその近所がどうなってるかレポートします
今はこんな施設となっています
『名古屋市青少年交流プラザ』という正式名で通称がユースクエア(YOUSQUARE)
英語の綴りは違うけど、カタカナだとユースの名が付いてます!!
色がなんか褪せたように見えますが、天気と撮影者が下手なせいで実物はとても近代的で綺麗な建物です
入り口はこんな感じ、方角で言えば南西側
敷地は同じ場所で北区の黒川駅から数分の柳原通に面しています
古いけれど素敵なツートンカラーのフォルクスワーゲンには『ユースカフェ』の文字が
正面入口です
中には入りませんでした
後日機会があれば入ってみます
敷地内から北西の金城橋方面
川はこの辺りから堀川と呼ばれてます
もう少し上流の黒川交差点より北東辺りからは御用水と呼ばれ、なんか品格のありそうな名称です
(名古屋城に取り込む水だったからだそうです)
金城橋北交差点から建物全景
画面左が名古屋高速黒川入り口、奥が柳原通、右が城北橋交差点から名古屋城、手前が城見通で、ずっと行くと庄内川
建物北側です
ガラス張りで開放感があって、ミラーガラスにもしていないので外から中も、中から外の様子もよく見えます
建物北東側と堀川
川の両岸には桜並木があり、春のシーズンには瑞穂区の山崎川や岩倉市の五条川のように美しい眺めです
北青年の家の南東に接していた市営住宅柳原荘はここ数年で新しく建て替えられました
この北で青年の家のすぐ東隣りにも広大な敷地が更地になっていて、平成30年からやはり市営住宅柳原荘が建つと出ていました
市営住宅柳原荘の一画にはこんな素敵な保育園が昨年だったかに開園しました
ここは元は東急鯱バスの本社と車庫があり、ユース部の先輩に紹介されて観光バスの添乗員の代りのアルバイトを2年ほどやってました
通常だとバスガイドさんが乗る所を、名古屋空港に行くだけの団体さんなどのバスガイドさんを使うともったいない添乗員としてのバイトでした(交通関係の法律で路線バスはワンマンバスでいいけれど、そうでないバスはたかだか小一時間の空港へ行くだけでもワンマンバスはダメだったので)
そのバイトで記憶に鮮明に残っているのが、甲子園の高校野球で愛知の中京と岐阜の県岐商が対戦した際の添乗です
第4試合まで対戦が組まれていた日程の第一試合で、朝の8時半が試合開始でした
なので朝というより夜中の3時半にここへ来て、八事の中京高校に4時に行き、高速では途中から県岐商の貸切バスと野球対戦の前哨戦さながらに抜きつ抜かれつのデッドヒート
試合は激戦のシーソーゲームの末に中京が勝ちました
乗ってたOBや家族たちは逆転勝ちに大喜びで運転手やバイトの自分にもチップを弾んでくれました
北青年の家の南、柳原通交差点にあった銭湯は健在です
銭湯の斜向かいには5~6年前だったか、この焼き鳥屋さんが出来ました
北青年の家の50mほど南です
北青年の家南隣の丸栄配送センターはそのままです
当時は屋上にもでっかいマークがありました
左が元の北青年の家、現在のユースクエアです
黒川交差点(国道41号線と名古屋環状線)の南にある北区役所は前に建て替えられました
その道路を挟んで南にはチサンホテルがありましたが、画像のように平安会館となってます
北区役所の敷地にはこんな金ピカのオブジェがあります
後ろは名古屋高速の黒川ランプ、くるくる回る珍しい出入り口構造になってます
そのくるくるの中には黒川トレーニングセンターという公営のスポーツ施設と名古屋高速の本社があります
地図で見るとこんな感じです
堀川に架かる国道41号線(空港線)の橋から見た黒川交差点方面
左の建物は北警察
同じ川ですが上の画像は堀川で下の画像は御用水と地元では呼んでいるようです
御用水側は右に見えるように何年か前に綺麗に整備されて小さな公園や遊歩道があります
アルバムに残る北青年の家でやっている第10回キャンプラリー実行委員会の画像
第10回キャンプラリーは昭和55年の8月16日から同18日まで根の上高原キャンプ場で開催されました
画像はその数十回はやったであろう実行委員会のひとコマです